山本由伸は都城高校をなぜ選んだ?高校時代の成績や評価は?

オリックス・バファローズのエースとして活躍している山本由伸選手。
都城高校からドラフト指名を受けてここ数年で急成長を続けていて、今では日本球界を代表する投手にまで成長しています。
東京オリンピックやWBCでの活躍も記憶に新しいのではないでしょうか。
2021年シーズンは、プロ5年目にして15年ぶり史上8人目の「投手5冠」を達成しました。
山本由伸選手は都城高校からドラフトを受けていますが、出身は岡山県です。
高校野球で県外に出て甲子園を目指すというのは珍しくないですが、甲子園にここ数年出場できていない都城高校をなぜ選んだのか調べてみました。
また、山本由伸選手の高校時代の成績や評価についてもまとめてみました。
今回は、“山本由伸は都城高校をなぜ選んだ?高校時代の成績や評価は?”についてお届けします。
目次
山本由伸は都城高校をなぜ選んだ?
野球の先発してる山本由伸も都城高校出身ー!
岡山からの留学だけど pic.twitter.com/ez7vtbUJNa
— GORI (@GORIMC58040419) August 4, 2021
岡山県出身の山本由伸選手は、小・中学校でも全国大会にも出場していたのに、なぜ地元や関西の強豪校ではなく、九州の都城高校を選んだのでしょうか。
プロフィール
- 名前:山本 由伸(やまもと よしのぶ)
- 生年月日:1998年8月17日
- 出身地:岡山県 備前市
- 身長/体重:178㎝/80㎏
- 所属チーム/背番号:オリックス・バファローズ/18
- ドラフト:2016年ドラフト4位
プロのピッチャーとしては身長は大きい方ではないですが、エースとして活躍しているのはすごいです!
イケメンなので女性人気も高そうです!
小・中学校時代
山本由伸選手は、元高校球児で勤務先でも軟式野球のチームでプレーをしていた父親の影響を受けて、2歳の時からおもちゃのバットを持ってグラウンドに通っていたそうです。
小学校に入ると、父親がコーチを務めていた「伊部パワフルズ」に入り、本格的に野球を始めました。
小学6年生の時にはキャッチャーとして全国大会にも出場しています。
小学校の頃は強肩を生かしてキャッチャーをしていたようです。
中学校では硬式野球の「東岡山ボーイズ」に所属して、2塁手兼投手として3年生の時に全国大会を経験しています。
中学校時代は試合数も多かったため、チームとして投手がたくさん必要だったため3・4番手の投手として2試合目などで投げていたそうです。
小・中学校で全国大会を経験しているのはさすがですね!しかし、そのころは投手が本職ではなかったというのが驚きです!
都城高校を選んだ理由
全国大会に出場はしましたが、中学3年の段階で、県内の高校などからも声はかかっていませんでした。
引退後もチームの練習に参加していた時に、岡山の作陽高校でコーチをしていて、山本選手が中学3年の夏から都城高校の監督に就任していた森松賢容監督と出会いました。
森松監督は山本選手の投球練習を見て、『あの子、連れていっていいですか?』と一目惚れして声をかけたそうです。
山本選手が都城高校を選んだのは、投球練習を見て一目惚れした森松監督からの誘いがあったからのようです。
また都城高校には、小学校2年からの知り合いで東岡山ボーイズのチームメイトで仲が良かった1学年先輩の石原与一さんもいたので決意はしやすかったようです。高校の寮でも相部屋でした。
もちろんそれ以外にも、野球に打ち込むことのできる環境が整っているというのが最終の決め手になったようです。高校から県外に出ることで、野球はもちろん人としての成長も考えたのかもしれませんね。
県外で知っている人がいるのといないのとでは安心感が違いますよね。
山本由伸の高校時代の成績は?
高校野球素晴らしく楽しかったな pic.twitter.com/moXi3elzQF
— 山本由伸 (@yyyyyamamoto817) August 2, 2016
山本由伸選手は高校3年間で甲子園出場はできませんでした。
- 1年秋(2014年) ベスト4
- 2年春(2015年) 準優勝
- 2年夏(2015年) ベスト8
- 2年秋(2015年) ベスト8
- 3年春(2016年) ベスト8
- 3年夏(2016年) 3回戦敗退
高校1年の夏の大会は、三塁手としてポジションを獲得して大会に出場しています。
山本由伸選手が本格的に投手に転向したのは、1年の秋からでした。
投手になった理由は、自ら志願して投手になったや、高校に誘った石原さんが監督の目に留まるように仕向けたなどさまざまな説があるようです。
中学時代から投手としてのテンポや制球はよくて、センスもあったようですね。
投手に転向した秋から背番号1を背負ってチームを引っ張っていきます。
山本由伸の高校時代の評価は?
#オリックス 『#山本由伸』投手のドラフト当時の評価を再現してみました!
⇩https://t.co/9cjQVjUdVg【タイムスリップドラフト候補紹介】都城高校『山本由伸』MAX151キロ右腕は梅野雄吾・浜地真澄・太田龍らと共に九州四天王!巨人『高橋由伸』が名前の由来の逸材は上位指名なるか? pic.twitter.com/IoktLXFQTL
— 野球人 (@yakyujinsan) August 26, 2021
高校1年の秋から投手に転向して、どのタイミングで評価が上がっていったのでしょうか。
高校1年
入学当初の球速は120キロ台だったのが、走り込みを中心に下半身を追い込んだ結果、秋の大会では140キロ台の速球を投げれるほどにまで成長します。
球速がここまで短期間で上がるのは、努力もそうですが素質があったのでしょう。
才能の片鱗は見えてきましたが、まだ評価としては高くはなかったようです。
高校2年
高校2年の春には、さらに努力を重ねて147キロの速球を投げれるようになりました。
春の大会では、エースとして5試合先発して、49イニングを投げて9失点の活躍を見せました。チームも準優勝という成績を残しました。
春の大会は準優勝ということもあり、夏の大会は甲子園出場の期待が集まりましたが、ベスト8という結果で終わってしまいます。
しかし、この大会で151キロという記録を出し、プロから注目されるようになります。
秋の大会では、ノーヒットノーランや、5回参考ながら完全試合など達成するなど素晴らしい成績を残し注目を集めていきます。
全国大会の出場はないものの地方大会での活躍は、プロのスカウトの耳にも入っていたようです。
高校3年
甲子園に出れずとも球界を代表する選手になった人たち(一部)
青木宣親(日向高校)
菅野智之(東海大相模)
柳田悠岐(広島商業)
山本由伸(都城高校) pic.twitter.com/gDM3MuFqOS— ミラクルチャンス堀江( ͡° ͜ʖ ͡° ) (@muscle_swing) December 30, 2020
九州四天王とも評され、山本由伸選手が投げる試合にはスカウトが駆けつけていたそうです。
高校最後の夏の大会初戦には20人以上のスカウトが駆けつけるほど注目が集まっていました。
高校3年間で甲子園出場こそ叶わなかったものの、投手に転向してからの成績は目を見張るものがあり、スカウトからも注目されてドラフト候補としても有力視されていました。
山本由伸ドラフト4位指名
山本由伸投手(都城高校)仮契約後のコメント
「仮契約を終えて、プロとしての自覚をもってやっていかなければいけないという気持ちがいっそう強くなりました。
オリックスの43といえば、山本だと言われるようになりたいです。球界を代表する投手になれるようがんばります!」#Bs2016 pic.twitter.com/wXTpgvneq5— オリックス・バファローズ (@Orix_Buffaloes) November 25, 2016
この年のドラフト候補は投手が豊作の年で、プロのチームとしても即戦力を期待してのドラフト指名が多かったため、山本由伸選手はドラフト4位指名でオリックス・バファローズに指名されます。
オリックスのスカウト山口和男さんは、球団に上位指名を懇願したが、チーム指名編成の都合で4位での指名になってしまいました。
4巡目までは残っていないと考えていたようですが、残っていたことは奇跡というほど評価は高かったようです。
まとめ
今回は、“山本由伸は都城高校をなぜ選んだ?高校時代の成績や評価は?”についてお届けしました。
地元岡山から都城高校への進学を決めたのも野球に打ち込める環境があったためと、しっかり自分自身に落とし込むことができで現在の活躍があるのではないでしょうか。
今後の活躍も期待です!
本日は、最後まで読んでいただきありがとうございます。
なぜ都城の高校を選んだのか、疑問でしたが、8割方 理解しました。 まだ完璧に理解はしていません。でも全てが今の山本投手の土台を作ったのはよくわかりました。ありがとうございます。